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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)4161号 判決 1989年9月25日

原告 松本祐商事株式会社

右代表者代表取締役 松本祐正

右訴訟代理人弁護士 山本剛嗣

被告 倉田嘉子

右訴訟代理人弁護士 吉永順作

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二億五〇〇〇万円及びこれに対する昭和六二年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告の地位

被告は司法書士である。

2  原被告間の本件各登記手続申請委任契約の締結

原告は、被告に対し、昭和六二年二月一九日、(1)別紙物件目録一ないし三記載の各土地(以下「本件各土地」という。)の住所移転を原因とする所有権登記名義人表示変更登記(以下「本件住所表示変更登記」という。)及び(2)債権者及び抵当権者を原告、債務者及び設定者を田沼賢一、原因を昭和六二年二月二〇日付の金銭消費貸借契約及び抵当権設定契約、被担保債権額を三億五〇〇〇万円とする本件各土地についての抵当権設定登記(以下「本件抵当権設定登記」という。)の申請手続を、右(1)及び(2)について自称田沼賢一(以下「自称田沼」という。)の原告に対する代理権授与に基づき同人のためにする旨を表示して、右(2)については更に原告の登記権利者の立場から委任し、被告はいずれについても受任した(以下この契約を「本件委任契約」という。)。

3  被告の登記手続申請の経過

(一) 被告は、浦和地方法務局熊谷支局に対し、昭和六二年二月二〇日、本件委任契約に基づき、(1)本件住所表示変更登記手続及び(2)本件抵当権設定登記手続(以下合わせて「本件各登記手続」という。)を同時に申請した。

(二) 同支局は、同日、右(一)(1)につき同日受付第三四二九号により、同(一)(2)につき同日受付第三四三〇号により、いずれも受理した。

(三) 同支局は、同月二六日、必要な添付書類の提出がないことを理由に、本件各登記手続の申請をいずれも却下した。

4  被告の責任

(一) 本件偽造住民票調査義務の不履行

(1) 住民票についての調査義務の範囲

被告は、司法書士として、自称田沼から本件住所表示変更登記の申請手続を受任したのであるから、同手続申請書に右表示の変更を証する住民票を添付する必要があり(不動産登記法第四三条)、添付書類としての住民票が形式的要件を満たしているか否かを調査する義務を負ったことは明らかである。しかして、右申請手続は、究極的には自称田沼と原告との間の金銭消費貸借契約上の原告の貸金請求権を担保するために本件各土地につき、田沼賢一の原告に対する抵当権設定登記手続を実現させる目的で、その前段階として行われるものであるから、被告は、本件住所表示変更登記手続の申請事務を履行するに際し、右申請手続に必要な添付書類である住民票が形式的要件に欠けるために本件住所表示変更等手続及び本件抵当権設定登記手続の各申請が却下されるなどして対第三者との関係で原告の自称田沼に対する貸金請求権が本件各土地によって担保されないという結果を避けるために、原告に対しても、住民票が形式的要件を満たしているか否かを調査し、もし、これに欠ける点があれば本件各登記手続の申請を中止し、右事実を直ちに原告に告知すべき本件委任契約上の付随的義務があったというべきである。

(2) 本件偽造住民票についての調査義務の不履行

自称田沼が原告方に持参し原告が本件委任契約締結当時に被告に交付した住民票(以下「本件偽造住民票」という。)には田沼賢一が昭和六一年三月二日に転入した旨の記載がある一方、右記載と矛盾する同人が同人の生年月日である昭和六年一一月二一日に住民となった旨及び原本の改製が昭和五九年一〇月六日であった旨の記載がされており、右各記載を全体として見れば、外形上偽造と見分け得るものであった。従って、右住民票は形式的要件を欠くものであった。しかるに、被告は、司法書士としての通常の注意を怠り、右各記載を看過して、浦和地方法務局熊谷支局に対し、本件住所表示変更登記及び本件抵当権設定登記の各申請手続をした。

(3) よって、被告は、本件委任契約に伴う付随的義務違反に基づく損害賠償責任を免れない。

(二) 本件偽造権利証調査義務の不履行

(1) 権利証についての調査義務の範囲

被告は、原告から原告の自称田沼に対する貸金請求権を担保する目的で本件抵当権設定登記手続の申請事務を受任し、かつ、自称田沼が原告方に持参し原告が本件委任契約の締結に際して被告に交付した本件各土地についての権利証(以下「本件偽造権利証」という。)上の本件各土地の所在がいずれも「熊谷市大字熊谷」と表示され、本件各土地の登記簿上の「熊谷市宮町二丁目」という表示と一致しないこと(以下「本件各土地の所在表示の不一致」という。)及び本件各土地につき換地処分があったことを認識していたのであるから、右の外形上の不一致の外形的・合理的な原因を検索可能な資料、すなわち、本件では昭和六一年四月一六日に現在の登記簿へ移記された後閉鎖された旧登記簿(以下「旧登記簿」という。)を調査することによって確認し、右確認ができない場合には当該権利証の偽造等により本件抵当権設定行為が無効となる事態を避けるため、本件各登記手続の申請を中止し、又は原告に対して旧登記簿調査の必要性を告知すべき委任契約上の義務を有していた。

(2) 本件偽造権利証についての調査義務の不履行

被告が実際に右(1)の確認をしていれば、ア本件各土地の現在の登記簿上の所在の表示が旧登記簿上の換地処分による住所表示変更登記前の「熊谷市大字熊谷を通」という表示とも一致せず、かつ、イ本件偽造権利証が相続人田沼賢一名義の昭和四一年三月一四日相続を原因とする本件各土地の所有権移転登記申請書に浦和地方法務局熊谷支局において登記済印を押されて作成された形式である(いわゆる本人申請の形式である)ところ、旧登記簿には熊谷市長の代位による所有権移転登記である旨が記載されている(したがって本人申請の場合に作成される同申請書が存在する筈がない。)という事情が判明するはずであった。しかるに、被告は、旧登記簿を閲覧して前記の外形上の不一致について外形的・合理的原因を確認することを怠ったまま、本件各登記手続の申請を行ったものである。

(3) よって、被告は、本件委任契約の不完全履行に基づく損害賠償責任を免れない。

5  因果関係

被告が、右4(一)又は(二)の義務を履行して浦和地方法務局熊谷支局に対する本件各登記手続の申請を中止し、又は原告に対してそれぞれの添付書類に偽造を疑わせる不審な記載があることを告知していれば、同支局が右の申請を受理すること及び原告が自称田沼に対して後記6(一)の貸金を交付することはなく、原告が同6(二)の損害を被ることはなかった。

6  損害の発生

(一) 原告は、自称田沼に対し、昭和六二年二月二〇日、浦和地方法務局熊谷支局が本件各登記手続の申請を受理したことを確認したうえ本件各登記手続が実現されるとの予測の下に金三億二九〇〇万円を貸し渡したところ、自称田沼が右金員を携帯したまま行方不明となった。

(二) 原告は、後日、連帯保証人から右(一)の貸金請求権のうち、七六五七万五〇〇〇円の弁済を受けたが、残金二億五二四二万五〇〇〇円の回収ができず、同額の損害を被った。

7  催告

原告は、被告に対し、昭和六二年四月九日送達の本件訴状により、本件委任契約の不完全履行(善管注意義務違反)に基づく損害金二億五二四二万五〇〇〇円の内金二億五〇〇〇万円の支払を請求した。

よって、原告は、被告に対し、本件委任契約の不完全履行(善管注意義務違反)に基づく損害賠償として、金二億五〇〇〇万円及びこれに対する弁済期の翌日である昭和六二年四月一〇日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(被告の地位)、同2(原被告間の本件各登記手続申請委任契約の締結)及び同3(被告の本件各登記手続申請の経過)の各事実はいずれも認める。

2(一)(1) 同4(一)(1)(住民票についての調査義務の範囲)の事実のうち、被告が司法書士として自称田沼から本件住所表示変更登記の申請手続を受任したこと、右申請手続が究極的には自称田沼と原告との間の金銭消費貸借契約上の原告の貸金請求権を担保するために本件各土地につき田沼賢一の原告に対する抵当権設定登記手続を実現させる目的でその前段階として行われるものであること、以上の事実は認める。しかし、以上の事実から、被告が原告に対し、本件住所表示変更手続の添付書類である住民票の一切の記載事項について各記載相互間の内容的矛盾の有無を調査すべき本件委任契約上の付随的義務を負うものではない。司法書士は、登記手続申請の裏付けである実体的な法律関係についての調査権限・義務を有さず、依頼者の指示に基づいて形式的に有効な登記手続申請事務を代行する権限・義務を有するに止まるのであり、添付書類の真正についての調査義務の範囲は、当該添付書類が一見して真正文書としての形式を備えているか否かに限られ、右調査の結果、その文書の真正が確認されたときには、その文書が要求されている実質的な理由との関係で重要な意義を有する事項の記載、すなわち、本件住所表示変更登記手続の添付書類としての住民票については、同登記手続の申請の可否と実質的に関係する本人の氏名、住所及び住所変更の日時・場所の各事項を調査して申請者と本人との同一性を確認すべき義務を有するに止まると解すべきである。本件住所表示変更登記手続の申請を受けた担当登記官は、本件住所表示変更登記をなす際、一見して本件偽造住民票が真正文書であると認め、所有権者住所表示変更登記手続を認めるうえで調査する必要のある本人の氏名、住所及び住所変更の日時・場所のみを審査し、それ以外の記載事項は全く審査しなかったのであり、右の審査実態は、登記官一般に是認されているものであって、登記手続申請事務を代行するに止まる司法書士が登記官以上の調査義務を負うと解すべき理由はない。

(2) 同4(一)(2)(本件偽造住民票についての調査義務の不履行)の事実のうち、本件偽造住民票に原告主張の各記載の矛盾があったこと、被告が浦和地方法務局熊谷支局に対し、本件住所表示変更登記及び本件抵当権設定登記の各申請手続をしたことはいずれも認める。

(二)(1) 同4(二)(1)(本件偽造権利証についての調査義務の範囲)の事実のうち、被告が原告から原告の自称田沼に対する貸金請求権を担保する目的で本件抵当権設定登記手続の申請事務を受任したこと、本件各土地の所在表示の不一致及び本件各土地につき換地処分があったことを認識していたこと並びに本件各土地の所在表示の不一致の外形的・合理的な原因を確認できる検索可能な資料として旧登記簿があったことは認める。しかし、以上の事実から、被告が原告に対して本件偽造権利証の真否につき現在の登記簿のみならず既に閉鎖された旧登記簿をも調査する義務又は右登記簿の調査の必要性を告知する義務を負っていたと解すべきものではない。被告は、原告が被告に交付した現在の登記簿謄本のみを調査する本件委任契約上の義務を有するに止まる。

(2) 同4(二)(2)(本件偽造権利証についての調査義務の不履行)の各事実については明らかに争わない。

3  同5(因果関係)の事実は否認する。

4  同6(損害の発生)の事実は知らない。

三  抗弁

1  請求原因4(一)(2)(本件偽造住民票についての調査義務の不履行)に対する無過失の抗弁

(一) 被告に本件偽造住民票の真正を疑わしめなかった事情

(1) 受任の際の自称田沼の本人性に関する原告の説明

被告は、昭和六二年二月一九日、原告から急ぎの登記申請事件があるから原告方に来て欲しい旨の電話依頼を受けたのに応じて、被告の事務員阿部良春が同日午後五時ころ、原告方に赴いたところ、原告から自称田沼を田沼賢一本人であると紹介され、かつ、既に本件各土地の現地調査を完了し、本件各土地の登記簿謄本の交付を受けて実体的権利関係も調査済みであると説明されたため、自称田沼が真実田沼賢一であると信用した。

(2) 短時間内委任事務処理の依頼

被告は、同月一九日午後五時ころ、原告から、翌二〇日に本件各土地を担保として自称田沼に三億五〇〇〇万円を貸し渡す予定であるから同日朝一番に本件各登記手続を申請するよう求められたことから、同月一九日午後七時ころまで、原告方において、原告及び自称田沼から真正な書類であるとして交付された本件各登記手続添付書類を調査し、至急申請書類を作成して原告の依頼どおりに同日朝一番で本件各登記手続の申請をした。

(3) 自動車運転免許証による本人確認の実施

被告は、同月一九日の添付書類の調査過程において、自称田沼に対し、同人が真実田沼賢一であることを確認するために自動車運転免許証の提示を求めたところ、これを携帯していなかったので翌二〇日朝これを確認することとし、同日朝、浦和地方法務局熊谷支局で本件各登記手続を申請する際、同人から一見して田沼賢一のものと認められる自動車運転免許証の提示を受けた。

(二) 本件偽造住民票の偽造の巧妙性

担当登記官は、本件偽造住民票が一見して真正文書であると認めて本件住所表示変更登記及び本件抵当権設定登記を完了した後に、本件偽造権利証の作成者として記載されている司法書士が、その作成年月日には未だ司法書士としての資格を取得していなかったことが偶然に判明したために本件各登記添付書類を再審査し、辛うじて本件偽造権利証の偽造性を発見できた結果、本件住所表示変更登記を誤記として抹消したものであって、本件偽造住民票の外形的な偽造精度は、登記官をしても容易に偽造文書と判断できない程度に巧妙である。

(三) 右(一)及び(二)の各事実を前提とすれば、被告に仮に本件偽造住民票の記載事項の一切を調査し、各記載事項相互間の論理矛盾の有無についても調査すべき本件委任契約に付随する義務があるとしても、右義務を果さなかったことに過失はない。

2  請求原因4(二)(2)(本件偽造権利証についての調査義務の不履行)の事実に対する無過失の抗弁

(一) 被告に本件偽造権利証記載の各土地と本件各土地との同一性を疑わしめなかった事情

(1) 抗弁1(一)(1)のとおり。

(2) 同1(一)(2)のとおり。

(3) 同1(一)(3)のとおり。

(4) 本件各土地の所在表示の不一致に関する原告及び自称田沼の説明

被告は、昭和六二年二月一九日午後五時から同日午後七時までの間の原告方における本件各登記手続の添付書類に関する調査の過程で、本件偽造権利証及び本件各土地の登記簿謄本から、本件各土地所在表示の不一致を発見したので、その原因について原告及び自称田沼に質問したところ、原告及び自称田沼から区画整理で換地処分があったために本件各土地の所在表示の不一致が生じているが、本件偽造権利証記載の本件各土地と登記簿謄本の本件各土地との同一性には間違いがない旨の説明を受けたので、右説明に基づき本件各土地の現在の登記簿謄本により換地処分のあったこと及び右の登記簿謄本及び権利証の田沼賢一の所有権移転登記の交付年月日・受付番号が一致することを確認したことから、原告及び自称田沼の前記説明が真実であると信用した。

(二) 真正文書であることを信じさせる本件偽造権利証の外形

担当登記官は、本件偽造権利証が一見して真正文書であると認めて本件住所表示変更登記に続いて本件抵当権設定登記を完了した後に、本件偽造権利証の作成者として記載されている司法書士が、その作成年月日には未だ司法書士としての資格を取得していなかったことが偶然に判明したために本件各登記添付書類を再審査し、辛うじて本件偽造権利証の偽造性を発見できた結果、本件住所表示変更登記を誤記として抹消し、かつ、既に完了していた本件抵当権設定登記の登記用紙を除去したものであって、本件偽造権利証の外形的な偽造精度は、登記官をしても容易に偽造文書と判断できない程度に巧妙である。

(三) 右(一)及び(二)の各事実を前提とすれば、被告に仮に本件各土地の所在表示の不一致に基づいて既に閉鎖されていた旧登記簿記載の換地処分前の所在表示と本件偽造権利証記載の所在表示との不一致を確認して本件偽造権利証の偽造性を発見すべき本件委任契約上の一般的な義務があるとしても、これを果さなかったことについては過失がない。

四  抗弁に対する認否

1  (一)(1) 抗弁1(一)(1)(受任の際の自称田沼の本人性に関する原告の説明)の事実のうち、被告が昭和六二年二月一九日に原告から急ぎの登記申請事件があるから原告方に来て欲しい旨の電話依頼を受けたのに応じて同日午後五時ころ原告方に赴いたところ原告から自称田沼を田沼賢一本人であると紹介されたこと及び原告が既に本件各土地の現地調査を完了し、かつ、本件各土地の登記簿謄本の交付を受けていたことは認め、その余の事実は否認する。

(2) 同(一)(2)(短時間内委任事務処理の依頼)の事実のうち、被告が同月一九日午後五時ころ、原告から、翌二〇日に本件各土地を担保として自称田沼に三億五〇〇〇万円を貸し渡す予定であるから同日朝一番に本件各登記手続を申請するよう求められたことは認め、被告が同月一九日午後七時ころまで原告方において原告及び自称田沼から真正な書類であるとして交付された本件各登記手続添付書類を調査して至急申請書類を作成し原告の依頼どおりに同日朝一番に本件各登記手続の申請をしたことは明らかに争わない。

(3) 同1(一)(3)(自動車運転免許証による本人確認の実施)の事実のうち、被告が同月一九日の添付書類の調査過程において自称田沼に対し同人が真実田沼賢一であることを確認するために自動車運転免許証の提示を求めたところこれを携帯していなかったので翌二〇日朝これを確認することとしたこと及び被告が同日朝に自称田沼からその提示を受けたことは認め、その余の事実は否認する。右免許証は、表面に昭和六一年一二月二六日交付の記載がありながら、その裏面には昭和五三年八月二三日及び昭和五四年二月六日にそれぞれ免許停止一二〇日の行政処分を受けた旨の記載があり、一見して偽造文書と認められるものであり、被告による本人確認の実施は不十分である。

(二) 同1(二)(本件偽造住民票の偽造の巧妙性)の事実は、明らかに争わない。しかし、右事実は、担当登記官が一度目の審査の際にその職務上要求されるべき注意義務を果さなかったものと評価すべきであり、被告の無過失を基礎付けるべきものではない。

2(一)(1) 同2(一)の(1)ないし(3)の事実については、同1(一)の(1)ないし(3)に対する認否のとおりである。

(2) 同2(一)(4)(本件各土地の所在表示の不一致に関する原告及び自称田沼の説明)の事実のうち、被告が本件各土地所在表示の不一致の原因について原告に質問したところ原告から区画整理で換地処分があったためにこれが生じているが本件偽造権利証記載の各土地と本件各土地との同一性に間違いはない旨の説明を受けたことは否認し、その余の事実は知らない。

(二) 同2(二)(真正文書であることを信じさせる本件偽造権利証の外形)の事実は明らかに争わない。しかし、右事実は、担当登記官が一度目の審査の際にその職務上要求されるべき注意義務を果さなかったものと評価すべきであり、被告の無過失を基礎付けるべきものではない。

第三  証拠<省略>

理由

一  請求原因l(被告の地位)、同2(原被告間の本件各登記手続申請委任契約の締結)及び同3(被告の本件登記手続申請の経過)の各事実については、いずれも当事者間に争いがない。

二  同4(一)(本件偽造住民票調査義務の不履行)について

1  同4(一)(1)(住民票についての調査義務の範囲)について

同4(一)(1)の事実のうち、被告が司法書士として原告から本件各土地につき究極的には自称田沼と原告との間の金銭消費貸借契約上の原告の貸金請求権を担保するために田沼賢一の原告に対する抵当権設定登記手続を実現させる目的でその前段階として本件住所表示変更手続を自称田沼のために申請することを受任し、かつ、本件抵当権設定登記手続の申請を受任したこと及び本件偽造住民票が自称田沼の偽造にかかるものであったことについては、当事者間に争いがない。

2  住民票の記載事項相互の内容的矛盾の有無を調査する義務が有るか否かについて

原告は、右(一)の争いのない事実を前提とすれば、被告において住民票の形式的要件の具備につき調査義務があり、本件のように各記載事項相互に内容的矛盾があって外形上偽造と見分け得る場合には、本件各登記手続の申請を中止し、右事実を直ちに原告に告知すべき本件委任契約上の付随的義務があった旨主張する。

確かに、被告は、本件住所表示変更登記の申請手続を行うことを受任し、同手続申請書に右表示の変更を証する住民票を添付する必要がある以上、添付書類としての住民票が形式的要件を満たしているかいなかを調査する義務を負ったというべきであるし、同申請手続が原告が自称田沼に貸し渡そうとしていた金員の返還請求権を担保するために本件各土地につき抵当権設定登記手続を実現させる目的で行われるものであり、もし、本件各登記手続の申請が本件偽造住民票の不真正を理由に却下されれば、右返還請求権が抵当権による担保のない請求権となり、かつ、その請求権の行使が事実上不能となること(自称田沼は実在の他人名を使用して金員を詐取したことになり、かつ、氏名不詳・住所不明の人物ということになるから同人に対する貸金請求は事実上不能となる。)からすれば、原告に対しても、住民票が形式的要件を満たしているか否かを調査し、これに欠ける点があれば本件各登記申請手続を中止し、原告に右事実を直ちに告知して原告に生ずる恐れがある損害を未然に防ぐべき委任契約上の付随的義務があることは明らかである。しかして、右形式的要件の調査義務の範囲には、特に、埼玉県熊谷市長の作成にかかる謄本であることを証明する公文書の部分を点検することのほか、本件住所表示変更手続を進めるうえで調査が不可欠な本人の氏名・住所及び住所変更の日時・場所などの記載事項については、これを本件各土地登記簿謄本等と比較対照するなどして精査し、併せて本件偽造住民票全体の体裁等を外形的に調査することにより、これが真正な書類か否かを判断することが含まれるというべきである。しかしながら、<証拠>に<証拠>の記載内容自体を併せて考えれば、本件偽造住民票には埼玉県熊谷市長名義の認証部分があり、その方式及び趣旨により右市長が職務上作成したものであることに疑義を抱かせない体裁となっていること、更に、本件偽造住民票には氏名「田沼賢一」なる者が昭和六一年三月二日に「埼玉県北足立郡吹上町本町三丁目二番一号」の従前の住所から「埼玉県熊谷市大字熊谷一六七三番地一四」に転入した旨記載されており、本件各土地の登記簿の記載内容と照合してみても、所有名義人である田沼賢一の住所及び氏名と本件偽造住民票上の右従前の住所及び氏名とが完全に一致しており、本件各土地について田沼賢一名義に所有権移転登記のされた「昭和四一年一二月一六日」という年月日と右転入年月日との間にも矛盾がないこと、その他本件各土地の登記簿の記載内容と本件偽造住民票の記載内容との間に何ら矛盾抵触する点がないこと、登記名義人の表示変更登記手続を行う際には登記簿謄本の記載内容と住民票の記載内容とを比較対照するという手法が通常採られており、右の通常の手法を採っている限り、本件偽造住民票の記載内容相互の矛盾点を発見することは期待し難いこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。本件偽造住民票に原告主張のような記載内容相互の矛盾があることは当事者間に争いがないが、右認定事実に照らして考えると、右記載内容の矛盾を根拠に、外形上偽造と見分け得る場合と認めることはできず、被告に原告主張の前記調査義務があったものと認めることはできない。

3  よって、同4(一)(本件偽造住民票調査義務の不履行の責任)は、理由がない。

三  同4(二)(本件偽造権利証調査義務の不履行)の責任について

1  同4(二)(1)(本件偽造権利証についての調査義務の範囲)について

(一)  同4(二)(1)の事実のうち、被告が原告から原告の自称田沼に対する貸金請求権を担保する目的で本件抵当権設定登記手続の申請事務を受任したこと、本件各土地の所在表示の不一致及び本件各土地につき換地処分があったことを認識していたこと並びに本件各土地の所在表示の不一致の外形的・合理的な原因を確認できる検索可能な資料として旧登記簿があったことは、当事者間に争いがない。

(二)  旧登記簿上の換地処分による住居表示変更登記前の住居表示を調査すべき義務の有無について

被告は、司法書士として原告のために本件各抵当権設定登記手続申請行為を代行することを受任したのであるから、右申請行為に不可欠な添付書類である本件偽造権利証を添付することによって、浦和地方法務局熊谷支局が右申請行為を受理し、担当登記官により有効な本件各抵当権設定登記がされるに至るか否かにつき審査する必要があり、本件偽造権利証と現在の本件各土地の登記簿謄本とを対照して物件の同一性を確認することが本件委任契約上の最も基本的な義務であることは明らかである。ところが、現在の登記簿謄本によれば右(一)のとおり本件各土地の所在表示の不一致があるためにこれを確認できず、しかも本件各土地につき換地処分が実施されたことがその原因であることを確認したのであるから、前記の物件の同一性を確認するために閉鎖されていた旧登記簿謄本を自ら閲覧して換地処分による住居表示変更登記の実施前の本件各土地の所在表示と本件偽造権利証の各土地の所在表示とを比較対照するか、少なくとも旧登記簿謄本閲覧による物件の同一性確認の必要性を原告に告知する本件委任契約上の義務があったと解される。被告は、物件の同一性の確認は、原告が被告に交付した現在の登記簿謄本のみから調査しさえすれば、本委任契約上の義務を果したことになる旨主張するが、右主張は失当である。

2  原告は、同4(二)(2)(本件偽造権利証についての調査義務の不履行)の各事実については明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。

四  抗弁2(本件偽造権利証についての調査義務の不履行の事実に対する無過失の抗弁)について

1  抗弁2(一)(被告に本件偽造権利証記載の各土地と本件各土地との同一性を疑わしめなかった事情)について

(一)(1) 抗弁2(一)(1)(受任の際の自称田沼の本人性に関する原告の説明)の事実のうち、被告が昭和六二年二月一九日に原告から急ぎの登記申請事件があるから原告方に来て欲しい旨の電話依頼を受けたのに応じて同日午後五時ころ原告方に赴いたところ原告から自称田沼を田沼賢一本人であると紹介されたこと及び原告が既に本件各土地の現地調査を完了し、かつ、本件各土地の登記簿謄本の交付を受けていたことは、当事者間に争いがない。

(2)ア 抗弁2(一)(1)の事実のうち、被告が昭和六二年二月一九日に原告から本件各土地の実体的権利関係を調査済みであると説明されたことについては、これを認めるに足りる証拠がない。

イ  抗弁2(一)(1)の事実のうち、<証拠>によれば、被告が自称田沼と田沼賢一とが同一人物であると信用したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)(1) 同(一)(2)(短時間内委任事務処理の依頼)の事実のうち、被告が同月一九日午後五時ころ、原告から、翌二〇日に本件各土地を担保として自称田沼に三億五〇〇〇万円を貸し渡す予定であるから同日朝一番に本件各登記手続を申請するよう求められたことは、当事者間に争いがない。

(2) 原告は、同(一)(2)の事実のうち、被告が同月一九日午後七時ころまで原告方において原告及び自称田沼から真正な書類であるとして交付された本件各登記手続添付書類を調査して至急申請書類を作成し原告の依頼どおりに同日朝一番に本件各登記手続の申請をしたことを明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。

(三)(1) 同1(一)(3)(自動車運転免許証による本人確認の実施)の事実のうち、被告が同月一九日の添付書類の調査過程において自称田沼に対し同人が真実田沼賢一であることを確認するために自動車運転免許証の提示を求めたところこれを携帯していなかったので翌二〇日朝これを確認することとしたこと及び被告が同日朝に自称田沼からその提示を受けたことは、当事者間に争いがない。

(2) 同1(一)(3)の事実のうち、<証拠>によれば、被告が昭和六二年二月二〇日に自称田沼賢一から提示された自動車運転免許証(同号証)が一見して田沼賢一のものと認められるものであったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない(確かに<証拠>の裏面には、原告が指摘するとおりその表面の交付年月日と矛盾する過去の行政処分歴が記載されているが、同号証の文書としての体裁は、まさに真正な自動車運転免許証としての外形を備えており、既に認定したとおり被告が自称田沼を一応は田沼賢一本人であると信用していた本件各登記申請の当日に本人確認の手段として一瞥した場合にその裏面の記載内容から右の矛盾を看破することは容易ではなく、それが一見して田沼賢一の真正な自動車運転免許証と認められるものであったことは明らかである。)。

(四)(1)ア <証拠>によれば、同2(一)(4)(本件各土地の所在表示の不一致に関する原告及び自称田沼の説明)の事実のうち、被告が本件各土地所在表示の不一致を発見してその原因について原告に質問したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない(<証拠>には、「阿部良春(被告従業員)が、本件各土地所在表示の不一致を発見してその原因について原告に質問したことについては記憶にない。」旨の供述部分があるが、本件各土地の登記簿謄本の所在表示と本件偽造権利証記載の各土地の所在表示との照合作業は、司法書士又はその履行補助者が通常の業務として実施する最も基本的な作業であり、右作業の結果、阿部良春が本件各土地の所在表示の不一致を発見し、その点を自称田沼に質問することは極めて自然な作業手順であり、<証拠>は、反対趣旨の<証拠>に照らし、これを採用することができない。)。

イ 被告が、原告から、区画整理で換地処分があったために本件各土地の所在表示の不一致が生じているが、本件偽造権利証記載の各土地と本件各土地との同一性には間違いはない旨の説明を受けたこと、被告が原告の右説明に基づき本件各土地の現在の登記簿謄本により換地処分のあったこと並びに右の登記簿謄本及び権利証の田沼賢一の所有権移転登記の交付年月日・受付番号の記載が一致することを確認したことから原告の前記説明が真実であると信用したことは、これを認めるに足りる証拠がない。

(2) <証拠>によれば、同2(一)(4)の事実のうち、被告が本件各土地所在表示の不一致を発見してその原因について自称田沼に質問したところ自称田沼から区画整理で換地処分があったためにこれが生じているが本件偽造権利証の各土地と本件各土地との同一性には間違いはない旨の説明を受けたこと、被告が自称田沼の右説明に基づき本件各土地の現在の登記簿謄本により換地処分のあったこと並びに右の登記簿謄本及び権利証の田沼賢一の所有権移転登記の交付年月日・受付番号の記載が一致することを確認したことから自称田沼の前記説明が真実であると信用したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない(<証拠>には、「阿部良春(被告従業員)が、本件各土地所在表示の不一致を発見してその原因について自称田沼に質問したところ、自称田沼が阿部良春に区画整理で換地処分があったためにこれが生じているが権利証の各土地と本件各土地との同一性には間違いはない旨の説明をしたことについては、記憶にない。」旨の供述部分があるが、本件各土地の登記簿謄本の所在表示と本件偽造権利証記載の各土地の所在表示との照合作業は、司法書士又はその履行補助者が通常の業務として実施する最も基本的な作業であり、右作業の結果、阿部良春が本件各土地の所在表示の不一致を発見し、これを自称田沼に質問することは極めて自然な作業手順であり、<証拠>は反対趣旨の<証拠>に照らし、これを採用することができない。)。

2  原告は、抗弁2(二)(真正文書であることを信じさせる本件偽造権利証の外形)の事実を明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

3  無過失の抗弁の成否について

以上の争いのない事実及び認定事実によれば、原告が被告に対して本件各登記手続申請の前日である昭和六二年二月一九日に自称田沼を田沼賢一本人であると紹介し、自称田沼から本件各土地の登記簿謄本の交付を受け、かつ、現地調査も終了した旨説明し、同日当時にはあたかも同申請の裏付けとなるべき実体的な権利関係の存在、特に、自称田沼が本件各土地の真実の所有者であることを信用するに足りる事前情報を与えたこと、原告が被告に対して同申請の添付書類を精査する時間的余裕を与えなかったこと、被告が自称田沼から一見して真正文書と認められる自動車運転免許証の呈示を受けて同人が田沼賢一本人であることを信用したこと、被告が本件各土地の所在表示の不一致を発見してその原因につき原告及び自称田沼に質問した際に自称田沼が区画整理による換地処分が原因であって本件偽造権利証記載の各土地と本件各土地とが同一であることは間違いがない旨説明したため本件各土地の登記簿謄本を調査したところ区画整理による換地処分がされた旨の記載がありしかも田沼賢一に対する所有権移転登記の受付番号・交付年月日が本件偽造権利証の記載と一致したために自称田沼の前記説明を信用し本件各土地の所在表示の不一致につき納得したこと及び本件偽造権利証の外形が登記官をしても容易に偽造文書であることを看破できない程度に巧妙であることを総合すれば、被告が本件偽造権利証の各土地の表示と旧登記簿記載の区画整理による換地処分による住所表示変更登記前の本件各土地の所在表示との照合をすべき義務又はその必要性を改めて原告に告知すべき義務を履行することを期待することはできないから、被告の右各義務の不履行には本件委任契約上の受任者としての過失(善管注意義務違反)がないと解する。したがって、抗弁2は理由がある。

五  以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高世三郎 裁判官 日下部克通 裁判長裁判官 平手勇治は、差し支えのため署名捺印することができない。裁判官 高世三郎)

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